僕が少年の頃・ブロガーであったらいいと思った。一人で過ごす事が良いと思う。

僕が少年の頃・ブロガーであったらいいと思った今日、勿論一人で!

環境問題などや構造上の人間関係の配置は気になりますが東京が日本では良い可能性があります。懐かしい歌の歌詞のワンフレーズは時代の中の人として最適ですが、本来はヨーロッパ系の海外の歌詞が時代の自分自身が重ねる部分がある本当かもしれないという仮説を忘れてはいけない。


少年時代の愛読書は森田まさのり氏のろくでなしブルース作中の一過性の愛を唄うリンダリンダの歌ブルーハーツとDBZと少年ジャンプという教育に良くない系のろくでなしブルース(勿論人を漫画的なパンチですがあのように殴った事は御座いません。)は既に成人、教育に良くない漫画だなと思いますが、之程世の中が悪だとは知らなかったという驚きの連続でした。誰もがこう不満があるという態度があれば正常な範囲内では仕方ない場合があるのではないか?合法的モラル的に正しさがあれば、でももうとっくに成人だ。


後に見る大越国家出版も異常な時期です。恐ろしかった2011年周辺は本当に恐ろしい四方八方から被害者に対しての犯罪隠蔽的圧力だったしまさかの被害者俺なのに時には正義ぶられたり、怖いね!そしてその屑共を処分したのかな?でも肝心なのは大貨がかかるんです。全く尊敬できない日本がインターネットの登場でまともぶるだけのテロリストヤクザ一致国体社会部分が見えた事と開き直った日本を知った、全てではないが残念でしたも懐かしい、そんな事は此方が駄目でも相手にしない!偽計から解放されていく己へ…それでいい訳だが



終わらない歌・懐かしい歌をもうほぼ聞く事も無いと思うけど少年時代によく聞いた歌の歌詞は気違い扱いされた日々
家系図偽計の大江なんたらというと〇〇部落という説のある大江という家系の子孫の大越という他の離婚家か偽計被害の波及という事の波及は偽計朝鮮サイドなどの扱いをされていた時期ではないか?自称同和部落という方々でしょう。之が実は内外大越名が家系図偽計説の嘘の共謀なのか、自爆する事で巻き込む家系の中での犯罪が解らなかった、又は別の不正に晒されているので外部の一方は都合が良かったので見過ごされたのではないか?独自の犯人である解りずら方内部犯行の原因が、面白くなかったという最悪級の事態になるとこだった可能性がある節が見えた事が残念だった。

加えて大江神社関連や呪いが関与した可能性があるし宗教に甘んじた家庭で仏教の中で嵌められてる中に居た気がする、其処に日本神社が海外性を消そうとする働きをしてた敗北の日本でこういう嫌なダメな不正の国の部分だった気がする。

だから当時は彼らが犯罪や被害者ぶる為の嘘を彼らが流付する犯罪である可能性がある一説の部落関係説者や日本系朝鮮民族の名前が少なくない方々とも僕も知り合いだったが、代表的な人物層の本当は仲間では無いと白状する人々とは当時は沢山僕も知り合いだったが
やがて元々仲間じゃないのでという決別は幾つか行われて離れて正常化された訳です。
被害は尋常ではない訳だが…

狂った犯罪者によって僕はとても悲しい時間だった気がする。偽計被害から抜けて多くの時間を失ったが、世界と自分のヒントを見ていくとき今度は障壁が死んでいた方が良いとは内心思ってしまう自分が居る、
よっぽど苛立つ、何をしても苛立つという発狂的感情、日本や或いは海外の誰もが認める有力者の家系の人が面白くない良い部分へ苛立ち犯罪を起こしておられるという説もあると思うんですけど、そういう人がもしかしたら今は解りずらい良い面を感じて殺意に及んでいる可能性があったという事は上手く行ってれば優越感でしかないが内心困惑な筈、
日本の其の犯行側のサイドは其れを取り締まり軽蔑して処分しないと相手にできない訳だし、其の辺に関わる位置に居ては困る2025年があります。

只大越家人によるが性格が良い人ではない・過去優れた良い人だったのではないか?
けどもういい人ぶらなくていい・人格者のように振舞わない事は建前の部分は仕方ないけども其れは此の家に生まれて意識するべきだと思う。嫌な人になっちゃうから
…其れは自分自身が失敗して反省して内観によって行動や思考を反省しているからかもしれないけど…そうですね。

良い人・悪い人というと人間として優れた人系の良い人だが過去の大越は。出来は一代か二代で変わるし、衰退は著しい、色々理由があると思いますけども、
その時々の良い人格発揮の場面でも控えた方が違和感が無いかもしれない、今ある名字の優れた美点は過去に見えるが現在進行形で関係がありました、その中に傍系が居て或いは間違ってるヨーロッパ人のシンボルではなく事実であってもそうは見えない中にWindowsという窓を出て、海外に一度フライトして今がある。どちらにせよ海外にヒントがある日本よりは本来は格が↑だが其処にお前らを嫌いだという民族的派閥を意識していた変な人が混血でいて欲しくない当時の感想がありました。屑過ぎる感情として人間として狂っている・そして犯罪者としても狂っている・軽微でなく陰湿極まりない反省しない繰り返す犯罪者が犯人であるという事を感じる、このケースの場合こういうと今度は被害者を呪って又おかしな状況にという狂った状況を外すべきだと思う。
犯人層を内心肯定させる心理を作り上げるのは良くない。でもね計画した犯人層は恐ろしいと認めるべきだと思う。


色々な事を考えました。脱した環境である仏教という偽りの中で

生命の帰依という理屈で合法的に日本の特定の家系に元々彼等のモノであるという様に設定され食い物にされてた可能性がある事は以前も考えてはいましたが。

其処へ帰依する命でも場所でもない自分の分は自分の分の問題。既に食われているかもしれない可能性が不安だったが

経緯的に日本に意図的に騙される事となった日本仏教への帰依という部分に勢力帰依は其処ではない、言葉のやりとりであれば良いが、何かしらの特別な事情で生命の帰依的表現や帰依するべき場所が仏教の偽りの関係の拝む対象の人々や菩薩というような話によって、

己らが独自に或いは家系で無く、魂の海外の公的勢力として失った良い部分が分割されて日本へあるのか?自分自身がイメージして返還される良い部分があれば其れを想像したりしたが実際は定かではあません、少しだけ偶には思い出してもいいかもしれない。


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