出会いあれば別れあり・日本神社仏閣編


 出会いあれば別れあり・日本神社仏閣編


ランニング行動に関する移動の途中で

もう近ずかないようにしていた法人格であろう会社が展開する複合合祭神社の付近を久しぶりに通った時、親子か、男女かが丁度鐘を鳴らして参拝していました、かつての自分も其処でそうやっていたなあと思いながら人生御別れが多いと思いながら其処を通り過ぎ


出会いあれば別れあり、そういえば地方のメイン神社も同じくらいの頃に御別れになり本来的な今其処を通じては縁がない場所へ別れを強く感じています。


本来は今縁がないはずの縁に触れてたのはきっと其処の宗教縁だと思う、京都へ通じ、(此処も大変だった)此の地方の古来へ通じ、或いは三重県へも此処でも通じていた可能性がある、

今では本来縁がない場所へ特に宗教を通じて関わっては非常に難しいと思ってます。


結局以前も書きましたが仏教だったので仏教を統括していた戦前の大日本帝国の霊的TOP伊勢神宮が影響を与えるのだが、以前も書いた通り、戦前、戦中は日本という一つの国へ多くの人種が仮の日本人という設定で生活していた国だった訳で、霊的な総括によって海外の存在性や意識を忘れさせて(結局或いは意図的な働きによりダメになって死んだ人も少なくなかったろう)しまう働きがあり、特に鳥居が水平の社の場合、仏教含む他の宗派(海外性や教え)などが駄目らしいという事は公表されているもので日本の現在も多くの宗教を無意識に統括している可能性がある働きが懸念されますが、


脱宗教の事実があり、特に宗教的祈りはもう無宗教ですから、関与してはならない霊的世界であり、宗教に関する祈りはお断りして御本人様へそのままお返しする感覚的形式をとっています。


兎に角、懐かしい別れあれば出会いあり、そういうシーンを印象的に感じましたね。




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