人間は窮地になるとより他人の本性を知る
其れを繰り返していると駄目なだけで無理だと思います。
窮地の奴は駄目そうで余り関わりたくはありません、無茶をおっしゃるなは除外
そういうものかも
地獄とは我々優位だった時には深く知らなかった己を発見しながら知らなかった悪意や負を知る時だったのかもしれません。例えば己へ多くが注意を払わなければいけなかった仮想大越国家の中の個の長い時間を魂が経験してきたとして 其の終わりが来るのではないか?
いや、かつて魂があるなら既に多くを知ってきたのではないか?
大越国家が海外に関する仮想王族であり其れは夫々の箇所では時として魂なら随分長い筈であり、生命の方程式からは証明されていない生まれ変わり、魂=ANIMA、通常は意識しなかった予想外、想定外が今生というべきか(元々肯定はしなくてもいい全ての類の仏教環境が原因もある)し自分自身が魂の時代に魂を感じた事も原因です。
仮想王族は悪意かもしれないが、海外法定通貨名のより大きな、其れはかつて容姿も優れ麗しいものが少なくなく、人格にも体力や気力も溢れたものが少なくなかっただろうという時期を経て、魂に依存する個人的な偶然を経験して居ました。戦後なので怖いのですが、故人であられるエリザベス女王陛下方にも都合が良かった、キリスト教や霊の範囲で、決しておかしなことばかりをただ信じていたわけでは無い事から広く大衆が認められるチャンスだった。海外からみても、事実があったと思う。
そういう長い黄色経済圏の中で経験してきた事は、王様だった人達がテロリストとは別の意味で目の敵にされてた不遇の時の中を過ごしたのですが、
もし、仮に事実だったら?海外の別の国々のかつて消えた王国のそして仏教の中で惑う本当は違う西欧王国に関するものだったら? 大越と書いて今ではお笑い草な…ビッグドンとも読める、仮想大越国家で、仮想魂があればきっと永らく経験してきた不遇の境涯を終える終末の再現の時代が来ているとしたら一方で喜ばしい時代なんだろうかと期待を寄せます。
いつかからか優位ではなくなった王国のモノの一人のような描写に敗北した国の中で此の国を背負ってきた王族は天皇家だと知っている、此の国を責務として嘆く最たるは天皇家だろう、憎しみが映えた思いで愉快だと思えば、其れも終わりの時代であると予感できる。
だが己は天皇家ではないと知っている、そして旧国名である旧越の国の中で今まで経験してきた悪意や負の感情を知っていく事にも疲れたでしょうし、もうどうでもよかった多くのそんなんに離れて、魂の時代に本来の正のテーマに向かうべきだったのでしょう。
問題提起は革命で無く、異人種であり、其れは本当に魂の生まれた時刻ローマの時刻とアニマ論に依存するのか鏡を見ると特に悩むほど不思議ではあります。
人間は優位な際に本性を現す場合が少なくないかもしれない。
以前も普通にそう、人間が危機に陥っても混乱して普段心無い事を思ったり
外側の悪意にのって失言をしたりすると思う。
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