正義という前提は駄目かもしれない。

 正義という単語も駄目かもしれない。

いつか誰しも良い人ではない行動や発言を経験し自身にショックを受けるように正義という言葉は厄介であって必要ないかもしれない、かといって対義語は悪でいいのでしょうか?其れもやっぱりダメであって

正義という単語が全面のイメージにあってはいけないのかもしれない。

まじめな良い人が陥りやすい罠は

正義という立場がおかしい時悪だった人物たちに時々正義が見えた時、

彼らが良い人だと思ったのだ

だが其れは間違いであり、そういう時も人間だからあるだけでしょう。


正義という単語が突然不適切である事が確定した時、色々な問題が起きやすい事は事実であって理論的感情の面でもそうであって、そういう意味でも正義という単語は駄目かもしれない、基本的にどんな人でも正義というノーミスの永続性は企業の永続性の追求よりも難しいのかもしれません。


正義とは何かについて考えてみた私はかつて愚かだったかもしれませんね。

正義という単語やイメージを控える事で此のそもそも受け取った構造がおかしかった場合もあり、時代背景もあり多くの正義として考えると時々おかしいと苦しむ時の感覚に柔軟性を齎すためにも正義という言葉の理論上の意味を控えていればバランスが必要なときに安全かもしれません。


やっぱり僕には正義という単語が前提にある事はあまり好ましくない可能性があると思いますね。

当然堕落する必要はないのですが、正義を常に求めてはいけないかもしれません。

ただ理に適う整然とした日常がある必要は前提にあった方が良いと思います。

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