カッコいい場面で滑稽であった時・ハッとした己のそういうところ
ショートの銀メダルは実はゴールドメダルだった幼少の幼稚園児の毎年の優勝メダル(人数少ないし田舎だし成長もあるけど当時は、そう当時は)流石に過去の小さな栄光を捨てたのは最初は16歳の頃、そして転居で過去の小さな栄光のメダルを捨てました。之が五輪だったら良いのになあと最近思いますが、そんなプチかっこいいシーンで写真を見てら短パンが逆向きに履いてた! びっくりしました! ハッとしたこういうプチかっこいい時にかっこ悪い状況、単純にプチかっこいい時にかっこ悪い部分があるという、そういうシンプルな部分なのでしょうか?己が深読みしたら履き違えているという暗示 そう考えたらなんだろうと思います。
そんな己が抱えるのはかっこいい時にかっこ悪い部分があるという己が色々な致命的な環境に感ずいた時、過去、現在、無様な己が嫌いですが少しだけ許そうと思った近日があります。あまりにも失態に過去のように開き直りすぎると又全然自分自身の物語は進展しない中でも諦めの論理感も用意してもいいんじゃない?
最近そう思います。
カッコ悪い自分に慣れてるけど
そう、そういうカッコいい時に無様にズボンを前後逆に履き違えている、そんなかっこ悪さを修正していく為に魂があると仮説する儚さの中で今生の課題の一つがある気がします。
本当は世界人類最高の存在の基準だったローマの年度と王権の獅子座の元に生まれた
事は失墜の証でもある、今はそうではない己と意図的に失墜させた部分が終わるとも思える時代が来るけどもかつてのような王権の部分は無くなっているでしょう。
そんな中民として暮らす己が履き違えている部分が其処にあるような気がして
仮想大越国家の海外の王家的表現の文字の中の個人という問題が家系・傍系・全てを越える夫々の交差点が来ている来てたんだなと知ってから整理して理解してあれから、考えたら今は最後一つである琢美という学校の王と豚という印象の文字と仮想大越国家の中の己は、
又別の隠れた王族だった真実があるのだろうかと考えました。
獅子座生まれでローマの年度の海外の仮想大越国家の中の個人的問題はアニマ論
華人王だった訳でもないのか、豚でもなく、猪でもない大教皇ローマのレオの年度は
奪いあげてむさぼるような部分が無ければ適切では無いと思います。
仮想王族大越国家ではローマ皇帝の家の一人が大越家にあるように見えたり
其のローマが関係する気がする中でやっぱり華人時代の王権なのかとか 自分だけなのかとか、憶測は素敵です。
大好きだった歌詞のワンフレーズの
やがて来る、交差点を迷いの中立ち止まるけど 生まれ変わりがあったら恋愛フレーズの部分について飛ばして聞きたい苛立たないような自分になれたら嬉しいです。
1:40再生時間が良いです。
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